× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
1・のっけから百地三太夫の格言なるもので始まるのだが、百地三太夫自体フィクションキャラ。しかも伊賀流空手なるもののヘッドマスターにされてる。子孫の百地ミキオさんはご存知なんでしょうか? 2・ポルトガルが日本侵攻したことになってる。 3・中国人の仙人が日本に移住して忍術を教えたとか。 4・クロコの黒装束が忍者の黒装束のルーツとか。 5・忍者はもともとお公家さんだったとか。 6・延暦寺焼き討ちは有名な忍者バトルらしい。 7・高松寿嗣の祖父の戸田真竜軒は徳川家の剣術指南役だったとか。 ↑日本人が知ったら目が点になるようなことばかり。 こういうトンデモ話を決して日本語で書かないところに彼らの確信犯的側面が見られますね。 アントニーさんが怒るのも無理ない。 PR
|
![]() |
九鬼神流がバビロニア起源という話の最中にニンジャーさんがPMで日ユ同祖論のサイト送ってきたので「君、トンデモってわかる?」という趣旨の返信をしたんだが、何か英語で説明しているところはないかと探してたら「と学会」なるものがあることを初めて知った。
そのと学会によるトンデモ本大賞にこんなニンジャ本があった。 天野仁「忍者のラビリンス」 (創土社) アマゾンリンク レビュー 15 人中、15人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。 5つ星のうち 1.0 内容に一貫性が欠けている, 2005/7/11 By rafysta (愛知県) 理論物理学者が書いた忍者の本。分野の異なる人が書いたという点では、興味が持てる本。しかし、始めからしてふざけている。東京で出会った女性に対して「あなたは忍者ですか?」と聞き、更に「どちらの星からですか」と聞いたところ「オリオンからです」と言われ、一人有頂天になってしまっている。アホかっと言いたくなるが、我慢して最後まで読んだ。 筆者の忍者に関する意見について、大きく僕の観点と異なる点は2つある。1つ目が、忍者が日本人だけでなく、外国人、さらには宇宙人にも忍者がいるという説を採っている点だ。そのために、大量の資料を示してその根拠を述べている。 2つ目が、正忍記に書かれているような忍者の戦術に関する記述を否定し、忍者は超能力者であり、様々な幻術を使ったに違いないと述べている点だ。 この本の致命的な弱点は、理論物理学者らしく、理論を述べる場所があるかと思えば、空想に浸っているところもあり、話もまったく一貫性がないため何を言いたいのか非常に分かりにくくなっていることだ。筆者自身も構成がおかしいのは理解しているようで、「一貫させるほどに整理されすぎた頭の科学者ならば、もはやその人には、発明や発見は無理だということになる。」「乱雑な思考が、いろんなパターンで、入り混じってくるから、面白いことを発見できるわけである。それを大事にしていると、こんなふうな本になってしまうのである。歴史が出たり、科学が出たり、論文になったり、史料集になったり、タイム・トラベルをしたような思い出話が出てきたり、書き進めているうちに、自分でも頭がおかしくなったのかと思うようなことが次から次へと出てくる。」などと言っている。題名がラビリンス(=迷宮)と名づけたりと、開き直ってさえいる。 結局この本の結論は、「忍者は超能力者である。」ということらしいが、ブログで書くならまだしも、1900円もする本に出版するなら、もう少し、筋道を立てて書くべきである。筆者がいろいろなことを知っているということは分かったが、単に知識の羅列にすぎず、ちっともおもしくない。 忍者も変な人達に付きまとわれて可哀想www |
![]() |
これはひょっとしてギャクでやってるのか!?聞いた話では戸隠流は十段とかザラなんだって?
|
![]() |
本スレで「幕末の文書に忍者という言葉があった」、という話が出てたのでとりあえず自分がわかってる限り古い「忍者」という言葉が書かれた文書を出しておく。
萬川集海第一帖の凡例のところ。 読み方が問題になってるようだけど、忍と者の間にノがないからニンジャでいいんじゃないかと思うけどわからん。 あと萬川集海の原文はネットに全部あったりする。 http://ninjutsu.robertk.com/Bansenshukai/ 現代語訳より先に英訳が出そうだね。 ところで画像のページの2行目に「盗賊ノ術」とあるけど、崩残さんのサイトの伊賀忍術博物館からのメールでこんな記述があって面白い。 「江戸中期に伊賀者の間で、 忍術伝書『萬川集海』の貸し借りが行われていたという 証拠となる起請文が残っているのですが、そこに 「盗賊をはたらくために忍術や忍器を使わない」 と書かれている項目があり、 まるで盗賊が忍術を使っていたかのような記述がなされています。」 外国人にとって忍術とは格闘技の一種 日本人にとって忍術とは妖術の一種 みたいなイメージがあるけど、現実にはドロボーみたいなもんだったんじゃなかろうか? そうすれば石川五右衛門を忍者とする小説が作られたのも理解できる。 |
![]() |
|
![]() |
*九鬼神流を神代からの古伝と称し、「神代文字で書かれた伝書」を作成している、怪しげな系統が複数存在するが、この主張の論拠としているのは、九鬼家に伝わっていたと称する偽書『九鬼文書』の武術篇に高木流の伝書そのままの内容が記されていることである。
この『九鬼文書』は、大正時代に九鬼隆治が設立した宗教団体「皇道宣揚会」の教典とされたもので、現在でも教典または教義の参考書として使っている古神道系宗教団体があるようだが、「エヂプト」だの「伊恵須」(イエス)などといった明治以降に使われた用語の怪しげな記述のある文献で、古文書というにも値しないものである。 問題の武術篇の成立には高松寿嗣が関わったという説もある。 だいいち、九鬼家の家伝の流儀は、九鬼神流ではなく、三田藩第8代藩主・九鬼隆邑より明治時代の九鬼隆輝まで伝えられた起倒流九鬼派である。 http://kobe.cool.ne.jp/ikkansai/takagiryu.htm 「九鬼文書」:昭和16(1941)年、三浦一郎「九鬼文書の研究」の出帆により世に知られるようになった文書。熊野神社宮司九鬼家に代々伝わる古文書と言われているが、証拠はない。 内容:神代史と九鬼神道の教義。 形式:九鬼神道部分は変体仮名(九鬼文字)。神代史は竹内文書と一部重複。 その他:昭和10(1935)年12月に弾圧された新興宗教大本教と関連あり。 結論:三浦一郎の執筆したもの http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5368/past/593-.html 『九鬼文書』4つの特色 この文書を継承してきた九鬼(くかみ)家は、大中臣(おおなかとみ)神道の宗家で熊野別当宗家でもあり、古代末、中世から近世にわたって日本最強の九鬼水軍を率いていた名門(戦前は子爵)である。 また、この文書の主要部分を公開した三浦一郎(『九鬼文書の研究』の著者)は、戦前最大の民間宗教の一つであった大本教のブレーンでもあった。 この文書の記載年代は、宇宙開闢(かいびゃく)から明治時代に及ぶが、奈良時代以降の部分は、後世、書き加えられたものである。 最もその伝承は、神代文字で記されていたが、それを藤原不比等が漢字混交文に翻訳したとされている。 それに、後代、筆写の際、神道・修験道・密教、そして兵法などの秘伝・秘法を加えたため、全三十巻構成のものとなったらしい。 (1)出雲王朝の正統史観 これは記紀系列の史書と異なる重要な史観といえる。つまりスサノオノミコトをアマテラスの上位におくという伝承は国つ神を天つ神の上位におくということであり、先住民史観とも言える。 (2)ウガヤ朝の存在 これは『竹内文書』『宮下文書』『上記』とともに本書の特色であり、そこからこれら四書をウガヤ文書としてくくることが出来ることについては既に述べた。 だが、このウガヤ朝72(73)代は謎の王朝である。弥生時代(約6世紀)に、この王朝だけ1200余年も続いたということは考古学的にもありえない。にもかかわらず、『九鬼文書』だけでなく、 ウガヤ文書四書とも、この長期王朝の実在を記している。 (3)聖徳太子批判 これは太子が仏教受容をめぐる政争で蘇我氏側に立って、物部・中臣氏を失脚させたとき、「太古代史」(竹内宿弥が書いたという)を焼き、新たに国史を編纂した点に集中している。 蘇我氏と密着した太子の行動については、江戸時代から「崇峻天皇殺し」という批判が無いわけではなかったが、歴史の抹殺━偽造者として太子を真っ向から批判したのはこの文書だけである。 なお、物部・中臣氏追放の政変の際に、「太古代史」の焚書がなされた。 だが、そのとき、いくつかの写本が越前の武内(竹内)氏、奥州に逃れた物部氏、さらに信州に逃れた中臣・春日氏らの手に残り、それらが、いわゆる「竹内文書」「九鬼文書」「物部文書」、 それに存在がまだはっきりしない「春日文書」の原本になったことが示唆されている。 (4)古代における日本とユダヤとの交流 古史古伝では、この「九鬼文書」と「竹内文書」、それに未公開、所在不明の「安倍文書」がこの問題に直接触れている。 なお、ユダヤの預言者や救世主だけでなく、インドの釈迦も日本系の人間だとしている点も見逃せない。 http://www2.tba.t-com.ne.jp/onmyoukai/newpage20.html 相当トンデモ臭いんだけど、作成に九鬼氏の人が関わってるからメンドイね。 こっちは身内が書いたと思われるもの。 http://www.shinjin.co.jp/kuki/hyoho/mystic.htm |
![]() |
藤林家由緒書の件で、藤林長門守が今川義元に雇われていたと記載されているらしいという話があって、これについて調べていたら、鈴木眞哉先生の本に、今川方の岡部信元は三河刈谷城攻めで
「大久保彦左衛門の三河物語には、今川方は伊賀集を忍び込ませて信近の首を討ち取ったが、城兵に反撃されて、伊賀衆も八十人討ち取られ、信近の首も取り返されたとある。」 という記述を見つけた。 とりあえずメモ |
![]() |
爆笑問題のニッポンの教養
FILE133:「江戸時代のTwitter」 2010年12月14日放送 http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20101214.html 稀代の古文書ハンター磯田が現在、研究をすすめているのが「忍者」だ。記録を残さないからこそ忍者なのだが、「記録がないから研究しないというのは歴史学者の敗北だ」と、次々に貴重な資料を発掘。 毒殺に使う薬の製造法から、意外な引退の理由、出陣の際けっこう派手な衣装を着ていたことまで、これまでの常識を覆す驚きの実態を明らかにしつつある。 これ御軍役までは読めるけどあとはわかんないなあ。 忍者装束は青い陣羽織。 もうこの頃には忍者が役職名になってたのね。 最後の伊賀出身忍者荻野さん。 こういうこともあるでしょう。 番組にでてくる伊賀路濃知辺に関してはすでに新聞発表されてたみたい。 http://blog.goo.ne.jp/i-izumi1120/m/201007 以下引用 磯田道史氏の「古今をちこち」というコラム。 忍者について書かれていた。 『伊賀路濃知辺(いがじのしるべ)』という、 徳川家康に使えた伊賀忍者衆の由緒書である。 (↓以下「古今をちこち」から) >天正10年(1587年)~元和元年(1615年)大阪夏の陣 徳川家康に採用された忍者200名。 12度の合戦で「討死之者」75人。(すべて名前が記載されている) 特に本能寺の変の後、 家康が甲斐信濃を平定し、豊臣秀吉と対峙した時期の合戦に 「伊賀者大勢討死」。 ◎忍者死亡状況 天正12年尾張の蟹江城攻め。 城攻めで敵城の石垣に取り付くことを命じられ、 上から鉄砲で撃たれる。 ◎埋葬 討死の者75人、その御陣場近辺の寺々へ遣わされ銀子を下し置かれる。 ◎忍者の給料 普通の忍者の予相場 高40~70石。 (甲賀者、他の大名家の忍者など) 伊賀者ひとりあたり高10石。 (現代において 年俸100万円前後) 土地にて与えられる。 喰えない忍者は領地を自分で耕した。 |
![]() |
ときどきこういう話って出るね。
ヤフー知恵袋のこの方がいつもなるほどな回答をしてくれる。 ベストアンサーに選ばれた回答 ベストアンサーに選ばれた回答 私も藤木先生の本は一番いいと思います。 先生の本に忍者は出てこないけど、忍びと悪党は出てきます。 つまり後世忍者と呼ばれたカッコイイ人達は、実際は略奪や放火ばっかしてたろくでもない人達だったんだよ、ってことですね。 自分もいつから悪党が忍者に変化したのか謎だったんですが、別に変化なんてしてなかったと。 それにしても甲陽軍鑑てそんなにダメダメな史料なの? 望月千代女もフィクションなのか!? |
![]() |
チョ忍がおとなしくてヒマなんでアントニーさんの動画のスレでツッコミ入れて遊んでるんだけど、楽しい。ニンジャーってやたら知ったか多いね。
私 If the ryu has been carried for 500 years, there supposed to be Edo period Togakure ryu menkyo or mokuroku on Komonjo market. But I've never heard about it. (戸隠流が500年もの歴史を持ってるなら、古文書マーケットに江戸時代の免許や目録が出てきてもいいはずなのに、ないよね。) といってみた。そしたら kumogakuredojo You've heard the answer many times, it was orally transmitted back than. (何回も聞いてると思うけど口伝なんだよ。) 私 Mokuroku and Menkyo are not Densho. (目録と免許は伝書じゃないが) kumogakuredojo My point stands, regardless of what you call it. (君がなんとでも呼ぼうとそうなんだよ) つまり彼は免許と目録の意味がさっぱりわかっていなかった。 He didn't know what Menkyo and Mokuroku were. もひとつ 藤林家由緒書に藤林長門守が“カジュツ”(家術?)を戸隠忍者に教えた、と外人ニンジャーさんは言うことがある。 日本語でそれを調べると 「藤林家由緒書には今川義元に雇われていた際、武田信玄の軍師山本勘助に忍術を教えたという記録が残っている。」ってことしか出てこないんだな。戸隠なんてでてこない。 ソースはしかもWikipedia。 手持ちの本の藤林長門守の項を何冊か見てみたけどどれにも藤林家由緒書って出てこない。 もしかしたら藤林家由緒書そのものがつくり話? とりあえず伊賀忍者博物館の収蔵品にはないね。 藤林家の直系ってどうなったんだ? 万川集海を書いたことはわかってるけどその後謎じゃね? 今でもいるのかな? と思って電話帳調べたら藤林材木店とかあるね、 直系なのかどうかわからないけど、いろいろ調べると百地さんは昭和中期あたりに家を観光客に解放してたりして積極的なのに藤林さんはそういうの聞かないなあ。 そんなこんなで戸隠流のファンタジーはもう初見さんのコントロールが効かない状態のようだ。 どうもアメリカ人信者が(この際信者とよぶ)尾ひれしこたま付けてる模様。 IgasakiDojun Togakure's problem is they can be tracked back to at least 1805 with a densho connected to Koshu-ryu and the Fujibayashi family record that Nagatonokami taught Kajutsu to Togakure. BuffonSarutobi I've heard the same story from somebody. I googled 藤林家由緒書 and Japanese sources only say "taught to Yamamoto Kansuke" nobody says Togakure. However, document like 由緒書 is always exaggerated and contains vanity. IgasakiDojun your "googlefu" is lacking, what historical literature from pre-Edo isn't exaggerated? they all are....... BuffonSarutobi 由緒書 is not literature. IgasakiDojun document, record, same shit, different day BuffonSarutobi Not same. Now you showed that you can't read Japanese. IgasakiDojun Fujibayashi-ke Yuisho-sho is what it says, your point? BuffonSarutobi lol It's Yuisho-Gaki not Yuisho-sho. IgasakiDojun thanks Mr. Know it All, I get translation lessons for free now, yeah...... BuffonSarutobi It's so funny. Some ninjers pretend to be able to understand Japanese. They don't know who they are speaking to. This guy IgasakiDojun later PMed me and said Asians are liars. Many Ninjers are childish like him. |
![]() |