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【2017/04/30 06:18 】 |
伊賀上野市発行の忍者本がトンデモな件について1
忍術の歴史 奥瀬平七郎著

第一部 孫子の兵法と山伏兵法の完成

*忍術の起源は孫子兵法。

よく言われるのは忍術の元は孫子の兵法に記載された五間。
しかしこの五間の記載は非常に短くて、万川集海などの忍術伝書と比べるとこの膨大な忍術と孫子兵法の五間にいかほどのつながりがあるのかと思わざるをえない。孫子兵法は武力衝突の前に謀略することを勧めているのだが、これは戦国時代普通に行われていたことで、これをもって謀略に関わる人全てを忍者認定してしまうとエライことになる。孫子兵法は何も忍者だけでなく武将にも好まれていたわけだから、忍術の起源が孫子兵法なら武門に関わる全てのことが孫子兵法起源と言えてしまう。
が、この辺りは忍者マニアがよく言うことなのでトンデモとまではいかない。

*役行者が行基を助けて山伏たちと一緒に50年間官兵と戦って山伏戦法を編み出した。

これ全くの創作でしょう。
役行者と行基は34歳離れていて行基が役行者の業績をたどったという話はあっても二人が一緒に何かしたというのは見つからない。
役行者が武力衝突をしたという話もない。(というか伝えられる役行者の話は宗教人なためか9割方伝説の域を出ない)
修験道と忍者を結びつける記述がよくみられるが、修験道の何が忍者の何と結びついたのか、修験者が誰に対し何のために武力衝突を起こしていたのか、またはそのような記録があるのかという説明が常に抜けているのである。
いつも伊賀甲賀のあたりには修験道の山や寺があるから、程度の理由でこの話は締めくくられてしまうのである。
役行者が開基した飯道寺が甲賀にあるため役行者と忍者というふたつの「オラが村の名物」を結び付けたいのが実際だろう。

この本では以降この空想の「山伏兵法」なるものを忍術の元として引用している。
「山伏兵法とは孫子兵法に武術の技術と理論が加えられ渾然一体としたもの」
いつのまにか武術が混ぜられる始末。

*山伏が日本全国に塾を開き庶民や貴族の子弟に兵法や武術を指導。それが武士発生の基板。

こういう全く根拠のない妄想理論を面と向かって言われるとどこぞの半島を思い出してしまう。


*その山伏塾から出た有名な大忍が源義家と平将門。


ゆんゆんしてきました。

*坂田金時(金太郎)も忍者

はいはい

*禅宗がもたらされ、座が形成され、座の名人養成のため禅僧と同じ徒弟制度を採用して、忍術が山伏兵法から独立した。

さっぱり意味がわかりません。
禅、座、忍者を結び付けたいだけの強引な妄想。

第二部 伊賀流忍術の発生と終焉


*山伏塾卒業第一期生は藤原千方。千方の四鬼とは山伏によって編成された奇襲攻撃部隊。伊賀ではすでに忍者部隊を創出していたのだ。

藤原千方は伊賀地方で有名な伝説上の人物ぽい。
伝説の四鬼を無理やり四部隊にしてしまうあたりがクリエイティブ。
伝説と史実の混同は忍者与太話には欠かせない。

*伊勢三郎も伊賀の忍者

伊勢というからには勢州出身という伝説はあっても伊賀というのは聞かない。近所の有名人は皆忍者ですか。

*山伏塾出身の服部家長は芸能人や香具師の諜報組織をつくり日本随一の忍術組織を手中にした。

服部半蔵の祖先と言われる人だが、この人に関する史料は源平絡みのものしかないと思う。どっから出てきた話なのか。
ちなみに家長は壇ノ浦で死んでいる。
ところがどっこい生き延びて伊賀に移り住み伊賀服部氏の祖になったというのだが、この「実は生き延びて」っていうのは義経ジンギスカン説とか原田左之助満州馬賊説とかアレな感じがするのは否めない。


*平家滅亡後家長は忍者組織をふたつに分けて温存。息子三人を源氏に寝返らせ平宗清(伊賀柘植氏の祖)を通じて服部家の保全を源頼朝にとりつけた。


「実は生き延びていた説」では源氏の追討を避けるために苗字を服部から千賀地に変えたというのに、服部家の安泰を約束されたのなら変名する理由がなくなる。


*楠木正成も山伏塾出身の忍者


はいはい

*百地三太夫は石川五右衛門を伏見城に潜入させ秀吉暗殺を謀ったが失敗。五右衛門はそのために処刑される。

これが例の五右衛門忍者伝説。
もちろんすべて想像。
とにかくこの本からは忍者といろんな有名人を繋げたいという願望がひしひしと伝わってくる。
朝鮮忍者がこだわっていた秀吉と忍者の反目はこのあたりの妄想がソースだろうか?■■■
Part2へ
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【2010/08/14 08:38 】 | 歴史の中の忍者 | 有り難いご意見(7)
<<Toshikokunoichi was Greg's lover, not sister | ホーム | Common lies about Ninja>>
有り難いご意見
類は友を呼ぶ、ってか。
そもそも、恥ずかしながら、日本の忍術そのものが、こうも誇大妄想と、自己顕示欲に満ちているために、
忍者、忍術という「誘引剤」にゴキブリみたいに吸い寄せられる人たちもまた、どこかしら、似た者なのではないでしょうか?

全員がそうではありませんけどね。
たとえば、自分の家の近くに日本の本格的な剣術や合気道の道場がなくて、たまたま武神館の支部があったから、「これでいいや」と入門した人とかもいそうですから。

●しかし、日本人に街頭でインタビューしたら、世代にもよりますが、「忍者のような者はいたとは思う」「でも、映画やマンガは嘘だよね」と7割の人は言うでしょうね。

●個人的には、忍者という者がいたとしても、武芸を応用したのはほんのごくわずかで、
大半は、略奪、窃盗、盗聴、女による、たぶらかし、
それに仮に華々しく活躍したとしても、「放火」と爆薬の仕掛け方ぐらいでしょうか。

一体、どこに「兵法」や「他の武術」とのボーダーラインを引くかというのが毎回、論議になりますが、
事実上、全く定義できないです。

見た目に、「変な道具を持ったり、変な格好」をしなかったら、ただの普通の戦争と同じですから。

それでも、日本ではお笑いや時代劇の中だけで済む忍者の話ですが、
そこに権威づけや、妄想的な史観まで加えてゆくと、今の海外のような状態になるのでしょうね。

●ところで、馬鹿チョには、スコットさんの米欄で、

「そもそも、忍者が活躍したと言われている戦国時代には、主戦力でなかった刀やら手裏剣なんかばっか見せたら、その時点で、そいつは偽者だよ。」

「本物の忍者はなー、飛脚のように、長い時間走ったり、水泳をしたり、乗馬を学んだり、毒物について知っている者のこと」

さらに、「特に、放火の方法と火薬の仕掛け方がメインなんだよ。」
と言ってやっておきました。

どこぞかの廃棄駐車場で、大騒ぎになるように、不審火でも出してくれな
いかな、あの馬鹿。

それと、武神館をわざと引き合いにだして、「武神館では刀や手裏剣なんかは、システム全体のごく一部で、体術や棒術や槍術が、メインだよ。

そうでなかったら、史実とは合わないから、インチキ忍者だね」
と「あることないこと」言うておきました。


おしまい。
【2010/08/14 10:44】| | HouzanSuzuki #4ce2cf55c2 [ 編集 ]


無題
>孫子兵法は何も忍者だけでなく武将にも好まれていたわけだから、

>一体、どこに「兵法」や「他の武術」とのボーダーラインを引くかというのが毎回、論議になりますが、事実上、全く定義できないです。

その辺の状況、というか伊賀衆・甲賀衆と孫子(や日本の兵法書)との関係が私にはよく分からないんですよね。やたら外人は孫子が起源と言い張りますが、孫子って、本当に忍者に好まれていたんですか? 私は万川集海の問答集の中だけに、箔を付けるだけの目的で孫子という言葉が使われたものと認識していました。

武田などの武将は教養として孫子を勉強することもあったらしいですが、忍者が本当に孫子の存在を知っていたのでしょうか? その頃の本業農民に文字が読めるとも思えませんから、知っていたとしたら口伝とか? そうだとして、どこから田舎の農民に伝わったのかも分からない。誰かが出向いて「『死間』というのはだな…」とか言って理解させたのかなw

そもそも本業が農家の傭兵は使われる側の人間なわけですよね。孫子なんて完全に使う側の心構えを記した書でしょう。用間だって「武将のためのスパイの使い方」なわけですし。「使う側のために書かれた戦時の心構え」が、使われる側である傭兵の戦い方のルーツ、ってのが私には理解できません。

外人たちは何か違う解釈をしているのかなあ。
【2010/08/15 01:23】| | 不純なマゼンタ #99c55c1045 [ 編集 ]


無題
>私は万川集海の問答集の中だけに、箔を付けるだけの目的で孫子という言葉が使われたものと認識していました。

私もそう思いますよ。
用間の項はそんなにたいそうな事は書かれてないですし。

というか私は忍者が諜報活動までやっていたとはおもえないんですよね。
どこかの国に潜入して要人から情報を盗みだすとか、小作人程度の知性で出来ることではないですよね。資金もかなり必要ですし。
本当に忍者が戦国時代に謀略に長けていたのなら信長を敵に回した時点で失格でしょう。
実際にやっていたのはゲリラとか夜討ち、普通に足軽として合戦に出たりとかその程度だと思います。
あと人さらいもやってたようですね。
【2010/08/16 17:13】| | buffon #2eeda7ad75 [ 編集 ]


武術史に詳しい知人の見解
「孫氏兵法」に関して、承諾を得ましたので、私の知人の見解を伝えておきます。
なお、年代の推察には若干の誤差があるかもしれないので、一つの参考程度にしてください、との事です。
buffonさんには既にメールでお知らせましたが。
____________


『孫子』について、分かることをいくつか。

まず前提として、『孫子』自体は非常に古いテキストであり、
大陸では少なくとも前漢の時代には、すでに軍事学のテキストとして成立・流布されていたようです。

それが日本に渡来したのはいつかは定かではありませんが、
南北朝の時代、南朝の名将・北畠顕家が自軍の旗印に「風林火山」を使っていることから、
少なくとも室町時代には兵書として渡来していたことは間違いありません。
おそらく遣隋使や遣唐使の頃、日本に伝来し、一部の寺院や貴族に秘蔵されていたのでしょう。

しかし、ここで注意しておかねばならないのは、
北畠顕家は、当時としては最高の教育と学識を持った超エリートであったということです。

一方で、戦国時代が終わって江戸時代のはじめ頃までは、農民はもちろん大名クラスの武士でも、文盲が少なくなかったという事実です。

このため、文治政策の一環として、徳川家康が『孫子』を含む武経七書を木版印刷して普及を始めたのは、天下統一後、江戸時代の初期以降。
その中のひとつとして『孫子』があったわけです。

つまり江戸時代の初め頃までは、
『孫子』のテキストを読めるような武士・武将は、日本にはほとんどいなかったわけです。

戦国武将の中でも、かなり学識の高かった越前の朝倉氏ですら、七書のうち最も簡略な『三略』すら読めず、僧侶(戦国時代の最高級識字層)にその解説を頼んでいるくらいなのですから。

だからこそ、武田信玄は「風林火山」を旗印にすることで、「お前ら諸将は、七書の最低レベルの『三略』を四苦八苦してようやく読んで恐れ入っている程度だが、わが武田家では、最高級の軍事書である『孫子』を読みこなし、戦略に活かしているのだぞ!」という、
威嚇・宣伝戦を展開し、それが有効に機能していたのでしょう。


このように、『孫子』が日本ではじめてマスプロ的に印刷されたのが江戸時代初期。

それが普及して、山鹿素行や荻生徂徠などの、いわゆる儒者・軍学者が『孫子』を研究したのが江戸時代中期以降です。

一方で、日本剣術が300諸流の栄華を誇ったのは江戸時代末期ですが、
その発祥の原点は、室町時代の中ごろのものが中心です。

このため、剣術や柔術など、いわゆる日本の古武術で『孫子』を引用していたり、権威づけとして用いている流儀はほとんどありません。

むしろ日本の古流武術の権威付けは、天狗や夢枕に立った異人など、
そのほとんどが真言密教系によるものが中心となります。

このため、古流武術の秘伝や奥義の多くが、真言の呪文であったり、
不動金縛りの術だったりするわけです。


ということで、『孫子』は非常に興味深い兵書ですが、戦国時代にはそれを読める人がほとんどおらず、
江戸時代になっても武術関係者の関心はほとんど集めておらず、
むしろ儒者のカバーする「軍事学」分野のテキストとして重宝されていましたので、
古流武術の権威付けなどにはほとんど用いられていません。


また現代においても、私個人は『孫子』は座右の書として愛読しておりますが、ほとんどの武術・武道人は、岩波文庫の『孫子』すら全部読んだ人はあまりいないはずですし、
それを権威にしている現代流派も絶無でしょう。

これは、江戸時代も現代も共通しているのでしょうね。


ちなみに、忍者の起源を『孫子』の用間篇に求めている愚か者もいるかもしれませんが、
スパイ活動やゲリラ戦は、太古の昔からあるものですので、
それをことさら「忍者」なる存在に結びつけるのは、牽強付会です。

そもそも、黒装束で忍者刀を腰にして煙球を投げるような忍者は、
有史以来、地球上に存在しなかったのですから(笑)。

伊賀や甲賀の人々が、金で雇われて諜報・破壊活動にも多少は従事していたのは確かでしょうが、それはあくまで「諜報活動が得意な傭兵」に過ぎません。

その子孫が江戸持代になって、「おらがご先祖様はこんなにすごい超人じゃった!」と自己宣伝したのが、いわゆる忍者の起源でしょうし、
それが戦前の立川文庫や講談に受け継がれ、戦後は初見さんが商売に使って大成功した・・・、
というのが、「忍者」の正体でしょう。

やはり初見さんの罪は、大きいですね。

こうした経緯をなんとなく知っているゆえに、私を含めた大部分の武術・武道関係者が、武神館をはじめとした忍術関係の人物や団体を、
ワンランク低い「なんちゃって武術」としてみるか、
そもそもマトモな武術・武道として認めていないのでしょうね。

もっとも、そう言っている武術・武道側にも、伝系の捏造・創作は、いくらでもあるのですが・・・(笑)。

草々
【2010/08/17 05:24】| | HouzanSuzuki #4ce2cf55c2 [ 編集 ]


あと一言、追加。
極端な事を言いますとね、
武術の技なんか、ヘタレで全く駄目で、
全く何もできなくてもいいから、それでも、ちゃんとした家系図と、史実を証明できる忍者がひとりふたり、いてほしかったものです。

武神館の各武術が古流のものから成り立っているかどうか、そんなことは、「歴史を捏造している朝鮮忍者を相手にしている私たち」には関係ないんですから。

武神館が古流だろうが、実力があろうが、ヘタレだろうが、全くどうでもいいことです。
朝鮮人の作り出し続ける嘘と捏造に対して、
私たちにとっての唯一の問題は、
「武神館の歴史的背景」に嘘があるのかないのかだけです。

この問題で重要なのは、
その武術の良し悪しではなくて、
歴史研究ですから。


【2010/08/17 23:41】| | HouzanSuzuki #4ce2cf55c2 [ 編集 ]


無題
崩残さん

面白かった! 興味深く読ませていただきました。コピーしてPCに保存させてもらいました。
【2010/08/19 00:39】| | 不純なマゼンタ #986e69d93c [ 編集 ]


無題
忍者を作ったのは武田信玄である
【2014/06/02 00:28】| | 信玄 #7dd441fb84 [ 編集 ]


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