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忍者はいなかったのか?
ときどきこういう話って出るね。
ヤフー知恵袋のこの方がいつもなるほどな回答をしてくれる。

ベストアンサーに選ばれた回答

hjxy1045さん

>万川集海 という本がありますが
>「伊賀豪族による忍者伝説の創作」の証拠だ ということですがどうなんでしょうか?

まったくその通り。江戸の創作家系伝説が元ネタです。美濃の竹中氏が親(半兵衛)を天才軍師にしたてあげたように、伊賀の藤林氏は先祖を大物忍者にしたてあげたのです。万は萬ですが。

>CIAが場所を公開してるようなもの?

KGBの本部の場所は公開されてましたからCIAも公開されてるでしょう。公的な一省庁ですから。ただ、その構成員が集住して、その場所が公開されてしまうと、任務に大きな支障があります。財務や外務の省庁なら、単に、プライバシーの問題でしかなく、日本では実際に公務員庁舎なんてのもありますが、情報工作員はそうはいきませんね。


まず、大人の感覚で常識的に考えて欲しいのです。

「忍者は情報工作員」説を唱える人もいるのですが、
「世襲制の情報工作員村が知られている。」事のおかしさを。伊賀だ甲賀だと、情報工作員の住所が一般公開されている事の不自然さを。
今日、CIAやモサドという組織が存在します。また、その活動の何割かは公開されています。しかし、その構成員の住所は公開はされてません。

戦国時代に、「素破」とか「忍び」などと言われた人々がいたのですが、これは、忍者と言うよりは、「山賊」「陸の倭寇」というべき人々なのです。

伊賀・甲賀・名張は、現代の名阪国道沿いの小盆地群であり、古代には、短期間、紫香楽の宮という首都となった事もありました。中世では東大寺の豊かな荘園、現代でも、それぞれ、8万~10万人の都市であり、また、伊賀米というブランド米を産しています。
こういう、豊かで閉鎖的な地形だと、名主・地侍が団結して強力な一揆を形成して(伊賀惣国一揆)、大名権力に対抗したりしました。また、(伊賀・甲賀に限らず)、個々の地侍・名主が配下の農民兵を率いて、傭兵活動したりしたのです。
※傭兵と行っても、現代のプロフェッショナルなモノではなくて、略奪を目的とした陸の海賊みたいなものです。
これらの「忍び」「素破」の活躍が江戸時代に、「忍者」の創作ネタとなりました。また、「忍術」という武術の創始者にされたりしました。

※以上は、歴史学者藤木久志先生の論を下地に、年、数回名阪国道を走り、伊賀の忍者屋敷にも数回行ったことがある関西人の私の推論を足したものです。

※「天正・伊賀の乱」について、当時の人は、「伊賀忍者一揆」とは言わず、「伊賀惣国一揆」と表現しています。一向一揆の非宗教バージョンと見るのが適切です。

風魔の小太郎の初出は、江戸時代に書かれた北条五代記という一種の小説であり、戦国の記録には一切登場しません。
服部半蔵は、実在しましたが、伊賀にコネクションを持つものの、徳川家康の家来の普通に武士なのです。後に、服部半蔵は、伊賀惣国一揆の主体だった、名主・地侍とその従属民を、配下として与えられました。彼らの石高が低めなのは、名主・地侍クラスだったからなのです。


「草」について、

私は「草」ネタのマンガを読んだ時に疑問をもちました。
「草」家は、代々、教育を成功してきたわけですよね。200年以上、十数代に渡って、唯一人も、バカ息子も不良娘も出さずに完璧に教育してきたわけです。親に反抗したり、口が軽い者、酒癖の悪い者が、たった一人でもいたら、バレてしまうわけですから。現実にあり得ますか?
そもそも、封建社会なのに、「御恩と奉公」に合致しない、一方的に奉仕させ続けられる、こんな雇用関係が続くのでしょうか?
幕末の、水戸や長州や薩摩の「草」達は何をしていたのでしょうか?
ちなみに、幕府では大目付は閑職でした。

※戦国の「工作」の中心は「調略」です。これは、「織田家の家臣になってくれたら、あなたの土地利権を保証しますよ。」と、言ったモノで、土地利権の保証書である安堵状とか朱印状とかの証拠を残します。交渉中は秘密なのですが、交渉後は特に秘密にはしません。この場合は、堂々と、織田家の家臣となるからです。
ベストアンサーに選ばれた回答

hjxy1045さん

歴史学者、藤木久志先生は、忍者はいない、としています。
忍者という言葉は、戦後の新造語なのです。

忍者モノ・忍術使いモノは、江戸以降の創作です。ウィキの忍者記事も、軍記物や家譜という創作モノを典拠しています。
戦国時代に、「忍び」「乱破」と呼ばれた人々はいましたが、その実態は情報工作員と言うよりは、傭兵や山賊や陸の倭寇というもので、とても、「忍者」らしいものではありせん。
平和な江戸時代では、「忍び」が泥棒をしたと一級史料に記録され、「忍びがえし」と言う防犯グッズが普及する始末。

どの時代にもどの国にも「情報工作員」は存在しましたが、それを新造語である「忍者」と呼ぶ必要などありません。
情報工作員やスパイと呼べばいいのです。

※忍者の末裔と名乗る家がありますが、これは、江戸時代にしばし行われた、一種の「仮託」か「先祖の活躍の創作」です。創作武術の創始者を過去の忍者(その当時はそんな言葉は無かったのだが・・・)に仮託した訳です。薬や農業技術を「神に教えてもらった」「仙人に教えてもらった」と仮託するようなものです。

※そもそも、伊賀だの甲賀だの、情報工作員が住所を公開して集住しているはずが無いではありませんか。

※ウィキペディアの記事は玉石混淆と言われますが、「忍者」の記事は「石」です。
なぜなら、実証的な研究者からは、「読み物」「小説」「偽書」と扱われる、軍記物や家譜を典拠としているからです。
萬川集海・・・藤林氏の創作。伊賀の忍者、聖徳太子の「しのび」
甲陽軍鑑・・・武田家の女忍者
陰徳太平記・・・山陰の鉢屋
北条五代記とか・・・風魔の小太郎
とかね。

私も藤木先生の本は一番いいと思います。
先生の本に忍者は出てこないけど、忍びと悪党は出てきます。
つまり後世忍者と呼ばれたカッコイイ人達は、実際は略奪や放火ばっかしてたろくでもない人達だったんだよ、ってことですね。
自分もいつから悪党が忍者に変化したのか謎だったんですが、別に変化なんてしてなかったと。
それにしても甲陽軍鑑てそんなにダメダメな史料なの?
望月千代女もフィクションなのか!?
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【2010/12/14 15:04 】 | 歴史の中の忍者 | 有り難いご意見(0)
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