非常勤の“在宅忍者”は勉強熱心だった のろしや鉄砲、火薬の技術も詳細に記載…甲賀の忍術を記した「渡辺家文書」
2017.4.30 21:04
渡辺家文書からは、在宅勤務の御忍役人が多様な技術を熱心に勉強していたことが分かる。1679年の文書(題名不明)には、毒薬のほか、水にぬれても消えないたいまつやのろしといった「火術」が紹介されている。のろしは「松の葉やオオカミのふん、抹香」、船を攻撃する「手火矢」の火薬は「塩(硝石のこと)、葉、硫黄、水銀を配合する」とあり、手火矢は、作り方を絵図で示している。
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鉄砲などの火器技術も習得していた。「甲賀流炮術秘書」(1791年)では、鉄砲や大砲の弾の大きさや重さ、弾の材料、鉄砲の大きさ、距離に応じた火薬の量を詳細に記載。鉄砲を扱う技術が書かれた文書(1660年)には、「硝石や硫黄、炭、ネズミのふん」などを使う火薬の配合の割合、弾薬の込め方が書いてある。御忍役人は、年1回、鉄砲指南役として尾張藩に赴いていたことから、鉄砲技術にはたけていたとみられる。
馬術も勉強していた。「軍馬口釈之書」(1687年)は、戦闘中に馬上から刀を操る方法を紹介。別の馬術書では、馬の治療方法を紹介。「小便不通ニハ」などと、馬の症状ごとに薬の配合を記し、また馬の歯の配列で年齢を判断し、年齢相応の世話をすることを説いている。
平穏な江戸時代、御忍役人は、普段は甲賀で農民として活動する「在宅非常勤」。緊急時に、近くの宿場町まで駆け付けられるように馬を飼っていたようだ。
実学的な技術を学ぶ一方で、呪術や心構えを説く記述も。忍術書には「敵に襲われたときに助かるためには卍の字を記す」「大軍の敵の中を、気付かれずに通り過ぎるまじない」などの記載もあった。
忍術書に詳しい研究家中島篤巳氏の話「著名な忍術書『万川集海』は伊賀と甲賀の忍術をまとめた辞典のようなものだが、渡辺家文書の忍術書は数枚レベルで、忍者が大切だと思う要素を簡潔にまとめて書いている。忍者が現場で備忘録として持っていたものだろう。しかも、一つの家で代々継承されたもので、一級の史料だ」
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