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【2024/11/18 08:42 】 |
朝鮮王朝実録に記録された日本の忍びの噂

中宗7年5月戌申条 (1512年)



原文

漆原縣囚倭人 要時羅, 語通事曰: "我等永爲朝鮮人必矣, 本道凡事, 何不直言哉? 前日接戰時, 死倭子壻弟姪等, 請於島主, 請兵隣島, 攻朝鮮, 島主曰: ‘若不永和, 則先攻巨濟事議之。’ 今年內出兵來攻明矣。 自對馬島, 距此境四十八息。 夜暗無月, 乘昏發船, 侵晨下陸, 則朝鮮人未及禦敵矣。 不獨此也, 深遠之國花加大國所在時老未者, 能變作形體, 陣中入歸時則似鼠, 還出時則如烏鳥, 變行無窮, 雖稠人列在左右, 不得解見。 欲求請此人, 城柵屋舍焚燒設計事, 對馬之人, 紛紛開說。 予乃聞知而出來。" 云 啓下兵曹。 兵曹啓, "要時羅等言, 島主欲請花加大國能變形體人助戰之說, 恐動明白, 且涉怪誕矣。然接戰時敗死人子壻弟姪等, 報復設計, 巨濟鎭爲先攻擊事, 島主前請說等語, 似爲不虛, 防備諸事, 益加謹愼事, 左右道移文何如?" 允之。

読み下し

〇慶尚道観察使宋千喜、馬を馳せて王に上啓した。
「漆原県に捕らえられている倭人要時羅が通事に語ったところによると『我々は永遠に朝鮮人になること間違いないから、どうしてすべてのことを直ちに話さないことがあろうか。先日戦ったときに死んだ倭人の子壻弟姪が島主に、“近隣の島で兵を集めて朝鮮を攻めよう”と請願したところ島主が、“もし永遠に和親しなければ、まず巨済を攻めよう”と議したので、今年中に出兵してくることは明らかである。対馬からここまでの距離は四十八息である。
月のない夜に闇に乗じて船を発し夜明けに上陸して侵攻すれば、朝鮮人は防禦できないだろう。それだけでなく、深遠の国である花加大國にいる時老未とは、姿かたちを変えるのに巧みで、陣中に入るときにはネズミのごとく、還るときはカラスのごとく千変万化するので、守備兵の列が所狭しと左右にめぐらせてあっても見つけることができない。この者に助力を請うて城冊屋舎を焼き払おうという計略を、対馬の人々が紛々に言うのを、私はかねて聞いていた......』とのことである」
この報告が王から兵曹に伝えられると、兵曹が王に上啓した。
「要時羅などの言う、島主が花加大國の姿かたちを変えるのに巧みな者に戦いの助力を請おうという話は威嚇であるのは明白で、また途方もない話です。しかし、敗死した子壻弟姪らが報復を計って、まず巨済鎮を攻撃しようと島主に請願した話などはさすがに虚言ではないようなので、防備の諸事にますます謹慎を加えることを左右道に文書で伝えてはいかがでしょうか。」
王は、これを允許した。


東京大学大学院の村井章介教授によれば、要時羅(ヨシラ)は与四郎、時老未(シノミ)は忍びになるとのこと。

「時老未は朝鮮音で시 노 미(シノミ)と読める。mとp(b)音はしばしば入れ替わるから時老未は和語のシノビの音写と考えて良い。」(古文書研究43)

花加大國は博多(ハカタ)のことなので、この時代既に九州にまで忍びが雇われていることがわかる。鈎の陣から20年足らずのこと。
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【2017/11/27 05:26 】 | 歴史の中の忍者 | 有り難いご意見(0)
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