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【2024/04/27 01:47 】 |
伊賀上野市発行の忍者本がトンデモな件について2
ひきつづき上野市観光協会発行の「忍術の歴史」の内容を検証します。

第三部 徳川期以降の忍術


*吉宗は若い頃不良で仲間と悪事を働き当時山田奉行であった後の大岡越前守に捕らえられ説教されて釈放。吉宗、大岡に惚れ込む。

時代劇の見過ぎではないか?
ちなみに紀州藩主時代の吉宗が大岡の裁きに惚れ込んでスカウトしたという話は後世の創作だそうだ。

*大岡越前守は根来忍者を使っていた。

紀州にいたから根来、という単純な創作。
吉宗~大岡~根来、は時代劇の鉄板ですな。

*(原文でいきます)幕末に実行された忍術として、薩摩藩の庭番出身の西郷吉之助(隆盛)と益満休之助が、慶応年間、江戸の藩邸(三田)で大忍術を使い、江戸市中に大混乱を巻き起こした事件があった。
伊勢神宮の神符降下事件がそれである。


これにはフイタ。
伊勢神宮のお札が降ってくるってやつは「ええじゃないか」ですね。
これが忍術の仕業でしかも西郷さんがやったとか、頭沸いてるとしか言いようがない。

*幕府はその混乱を鎮めるために「新選組補充部隊60人」を使うことになり、新選組の戦力が大衰退した。

省いてある途中の文脈からすると、薩摩藩が江戸で行っていたテロ行為(これは事実)を鎮めるために新選組補充部隊を使ったとあるが、これはもちろん事実ではない。幕府が使ったのは新徴組でこれは元は新選組と同じ浪士組であったが、京都に残ったものが新選組となり、江戸に戻ったものが新徴組になった。新選組が隊士を関東で補充するときは近藤や土方が出向いて直接面接している。伊東甲子太郎もこれで入隊した。
この本はとにかく歴史上の人気ヒーローと絡ませたくて仕方ないのである。

*このような雄大なスケールの忍法で倒幕の実現を早めた。

何でも忍者の手柄にしたいのか。

第四部 政略家、上、中、下忍と武芸者の系譜


この項では名だたる戦国武将をほぼ全て忍者認定している。
頼朝や吉備真備まで忍者にされている。
また"忍術(兵法)"などと記載し意図的に忍術と兵法一般を混同させることにより、塚原卜伝まで忍者にされる有様。

第五部 日本兵法の敗北とその原因

*兵学の基礎を孫子によらず日本兵法(山伏兵法)に置いたから。日本兵法の特徴は先生奇襲攻撃による即戦完勝。

奇襲した真珠湾攻撃は成功してなかったか?
日本が負けた原因は伸びすぎた兵站(いつもこのパターンだが)と物量差、遅れた兵器(これもいつものパターンだ)、こんなとこが現実だろう。

*日本が経済大国として再生したのは企業が国際競争に勝つための調、謀の知略戦を行っていた。この頭脳忍法には日本が生み出した忍術の技法が最も適したいるのである。

これは産業スパイで日本が成功したと言ってるのだろうか。
ヒドイなあ。
大企業に恨みでもあるのだろうか。


最後に忍具図説があるのだが、万川州海にさえ載っていない忍び刀が出ている。デマはこういうところから広がるのだ。
「忍術の歴史」「奥瀬平七郎」でぐぐると悲しくなる。
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【2010/08/26 13:00 】 | 歴史の中の忍者 | 有り難いご意見(0)
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