× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
バラエティ番組で度々武神館が紹介されるようになって戸隠忍者という名称がメジャーになってしまったかもしれないので、この際明確にしなければならない。 ぶっちゃけ、戸隠忍者はフィクションです。 動画では何年も前に説明したと思うけど、戸隠忍者は戸隠流という創作武術流派のために創作されたもの。 「嘘だ、だって戸隠流忍法資料館に沢山忍具があるじゃないか」 と思われるかもしれませんが、あれは全部戸隠流宗家の初見さんが寄贈した出所不明の品。 おそらく伊賀の忍術博物館と同じように博物館展示用に作ったものでしょう。 長野図書館に戸隠村誌、柵村誌(昭和32年に旧戸隠村と合併)という資料がありますが、戸隠忍者に関する記述は「戸隠村民俗館・戸隠流忍法資料館」という項目のみ。 つまりこの資料館を作ったときに降って湧いたのが戸隠忍者。 だから歴史史料に戸隠の忍びという記述は皆無なのです。 このあたりは伊賀甲賀と違う所。 もちろん戦国時代の忍びや透破の記述はありますが、戸隠というブランド忍者は見られません。 また、戸隠流忍術の武神館の動画を見ていると、合気道のような格闘技や剣術棒術のような武術をやってますが、忍術書に格闘技はないのです。 (これはアントニー・カミンズ氏のリサーチ) 多分日本人なら忍術といえばどろんどろんなので、格闘技を忍術と呼ぶのは違和感感じるのが普通だと思います。 でも武神館が忍術の代名詞となっている海外ではあれが忍術だと思われているようです。 そして日本の悪いところは観光経済を優先するあまり、デマの戸隠忍者を戸隠が絶賛プロモートしてるとこ。 外人だけでなく無知な日本人も結構信じている人が見られます。 一見忍者に詳しそうな人でも戸隠流の流祖エピソードを真に受けてたりしてガックリ来ることもあります。(例https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7845238.htmlこのベストアンサーの人も相当忍者マニアっぽいのに伝説と史実を混同している) 月刊秘伝とか歴史読本とか、歴史の予備知識がない人は要注意。 ちなみに戸隠流は初見さんの師の高松氏までしか遡れません。 (高松氏も実在かどうか怪しいという人もいます) なぜ戸隠なのかというと、戸隠山は修験道で有名なこと。 そして戸隠(とがくれ)が、霧隠(きりがくれ)みたいで忍者っぽくてかっこいいから。 PR |
|