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戸隠といえば普通「とがくし」と呼ぶが、これが忍者になるとなぜか「とがくれ」と呼ぶ。
常々不思議に思っていたが、現在アントニーさんがやってる武神館ディベートでようやくわかった。 「とがくれ」のほうが忍者っぽいから、それだけ。 真田十勇士に出てくる霧隠才蔵とか、やはり同じような少年小説に出てくる雲隠などがアイデアの元だという。 講談<リンク 英雄文庫 忍術無双の達人 雲隠太郎 PR
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忍者らしく聞こえるという他の理由としては、高松が創作したときには、戸隠神社やあの地方と何の関係もないものを、「とがくし流」と名乗れば、「紛らわしい」ので、地元からの反発もあると懸念した「のかもしれない」と私は思いました。
んまー、 今となっては、もう地元社会も、村起こしの立派な「共犯者」ですがね。
【2010/12/10 07:15】| | HouzanSuzuki #55513bef81 [ 編集 ]
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ざっくりと言ってしまうと、
通常の、刀、槍、鉄砲「以外の戦法」を使ったら、当時は、なんでもかんでも全部、忍術みたいにされてしまったのでしょう。 むろんこれは、国内での話です。 スパイ活動したり、火薬を使ったり、夜中に放火したただけですら、もしかすると、「忍びの者」とか「すっぱ、らっぱ」とか「何々」と、地方で呼び方は違うが、 そのように戦国時代に、呼び名をつけて、お互いに「警戒」していたということはあり得ます。 それで、伊賀甲賀だけではなく、全国でそういうことは起きていたはずで、もしかしたら、たった一回使っただけで、使い物にならない武器や道具まであるのかもしれないが、 それが、江戸時代に、「理想的な戦士」みたいに脚色され、まとめられたもの、それが「俗に言う、日本文化としての忍術・忍者」なのだろうと私は思います。 そういうわけで、話がいつも面倒になるのは、「いかにも忍術みたいなこと」をした痕跡が戦記の中に全くないかというと、逆にそれは無理な話になります。 しかしそれらは、構成にまとめられる前には、全部が、部分的なもので、 組織化も体系化もされたものではないので、戦国時代の戦記の中の「戦術的な記述」を直接に忍術に結びつけるのは間違い。 「武士道論」の「理想論」と同じで、 実際の実戦が消えた時代に作られた「戦法としての理想像」の一つが忍術だったのではないでしょうか。 江戸中期以降は、なにしろ、 「娯楽 多し世の中」だったみたいですからね。 「変な武器」(分銅鎖などの隠し武器や、暗器)が、少しだけ実際に見直されたのは、最後に人斬りが行われた、「幕末」だったかもしれませんが、 実際にそれらを使用した武勇伝の形跡は、ほとんど見つかりません。 またそれらは、忍術から派生したものではなくて、剣術流派なども、刀以外の武器の扱いを目録に入れているところもあります。 こうしたことが、アントニーという人が 香取神道流を本物の忍術だ、とか、変なことを思い込んでしまう原因の一つです。 古い流派ほど、 部分的に、「変な戦術」に似たものが含まれてしまうのは、しかたないことです。 たとえば、卵の殻に、薬物を入れて相手に投げつけるのが、忍術としてではなくて、なんと、剣術流派の奥儀の中に残っていたりとかね。 ●外人さんと論議すると、 知識がある人であっても、知識がない人であっても、 何が困難かといいますと、 「どういう意味でのフィクションであるか」という説明です。 私も、外人さんには、 「忍者という概念とスタイルは、作られた、フィクションですよ」と一環して言っていますが、 ただし、 「どういう意味での文化的フィクションであるか」を彼らは理解できない。 たとえ、フィクションや誇張でも、 「元の素材」は、いろいろとあったものも、あり、なかったものもありで・・・・・。 反チョ問題での唯一の問題は、その元素材は、朝鮮にはないっつーこと。 勘違い系の糞みそ一緒の、 「外人ファンタジー脳」での 唯一の問題は、 「ただでさえ、創作要素が強い忍術に、この上、さらなる嘘を作るの、やめてけれ。 (チョ忍と、ジェイコブソンと、武神館の信者たちよ、)」というところでしょうかね。
【2010/12/11 05:34】| | HouzanSuzuki #55513bef81 [ 編集 ]
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