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【原文】見しは昔、関東諸国みだれ、弓箭を取てやむ事なし。 然ば其比、らつぱと云くせ者おほく有し。 これらの者、盗人にて、又盗人にもあらざる、心かしこくけなげにて、横道(おうどう)なる者共也。 或文に乱波と記せり。但正字おぼつかなし。 俗にはらつぱといふ。
され共此者を国大名衆扶持し給ひぬ。是はいかなる子細ぞといへば、此乱波、我国に有盗人をよ穿鑿(せんさく)し、尋出して首を切、をのれは他国へ忍び入、山賊・海賊・夜討・強盗して物取事が上手也。才智に有て、謀計調略をめぐらす事、凡慮に及ばず。 古語に、偽ても賢をまなばんを賢とすといへり。されば智者と盗人の相おなじ事也。舎利弗(しゃりほつ)も知恵をもつてぬすみをよくせられけると、古き文に見えたり。 乱波と号す、道の品こそかはれ、武士の智謀計策をめぐらし、他国を切て取も又おなじ。扨又載淵(たいえん)と云者盗人也。 陸機と云者舟に乗、長安へ参る時、淵はかりごとをめぐらし、陸機が舟のうちを盗みとらんとす。陸がいはく「汝が器用才覚にては、高位にもすゝむべき人なり。何とて盗みするや」と云時、淵つるぎをなげすて、盗の心をあらためける。 帝聞(きこし)めし「志をひるがへす事切也」と、ほうび有て、めしあげて将軍になし給ひぬ。 是をおもふに、誠に関東のらつぱが智恵にては、神仏とならんも安かるべし。大人(たいじん)にもならず、財宝をもたくはへず、盗人業をえたるこそ、をろかなれ。然に、北条左京大夫平氏直は、関八州に威をふるひ、隣国皆敵たるによて、たゝかひやん事なし。 武田四朗源勝頼・同太郎信勝父子、天正九年の秋、信濃・甲斐・駿河三ヶ国の勢をもよほし、駿河三枚ばしへ打出、黄瀬川の難所をへだて、諸勢は浮嶋が原に陣どる。氏直も関八州の軍兵を卒し、伊豆のはつねが原・三嶋に陣をはる。氏直乱波二百人扶持し給ふ中に、一の悪者有。かれが名を風摩と云。 たとへば西天竺九十六人の中、一のくせ者を外道といへるがごとし。 此風摩が同類の中、四頭あり。山海の両賊、強竊(ごうせつ)の二盗是なり。山海の両賊は山川に達し、強盗はかたき所を押破て入、竊盗はほそる盗人と名付、忍びが上手。 此四盗ら、夜討をもて第一とす。此二百人の徒党、四手に分て、雨の降夜もふらぬ夜も、風の吹よも吹ぬ夜も、黄瀬川の大河を物共せず打渡て、勝頼の陣場へ夜々に忍び入て、人を生捕、つなぎ馬の綱を切、はだせにて乗、かたはらへ夜討して分捕・乱捕し、あまつさへ爰かしこへ火をかけ、四方八方へ味方にまなんで紛れ入て、鬨声(ときのこえ)をあぐれば、惣陣さはぎ動揺し、ものゝぐ(物具)一りやう(領)に二三人取付、わがよ人よと引あひ、あはてふためきはしり出るといへ共、前後にまよひ、味方のむかふを敵ぞとおもひ、討つうたれつ、火をちらし、算を乱して、半死半生にたゝかひ、夜明て首を実検すれば、皆同士軍して、被官が主をうち、子が親の首を取、あまりの面目なさに、髻(もとどり)をきり、さまをかへ、高野の嶺にのぼる人こそおほおかりけれ。 扨又其外に、もとゆい切、十人計かたはらにかくれ、こぞり居たりしが「かくても生がひ有べからず。腹を切らん」といふ所に、一人すゝみて云げるは「我々死たり共、主を討親を殺す其むくひを謝せずんば、五逆八逆の罪のがるべからず。 二百人の悪盗を、いずれを分て、かたきせんや。風摩は乱波の大将也。命を捨ば、かれを討共安かるべし。今宵も夜討に来るべし。かれらが来る道に待て、ちりぢりに成てにぐる時、其中へ紛れ入、行末は、皆一所に集まるべし。 それ風摩は二百人の中に有てかくれなき大男、長(たけ)七尺二寸、手足の筋骨あらあら敷、こゝかしこに村こぶ有て、眼はさかさまにさけ、黒髭にて、口脇両へ広くさけ、きば四つ外へ出たり。 かしらは福禄寿に似て、鼻たかし。声を高く出せば、五十町聞え、ひきく(低く)いだせば、からびたるこえにて幽(かすか)なり。 見まがふ事はなきぞとよ。其時風摩を見出し、むずとくんでさしちがへ、今生の本望を達し、会稽の恥辱すゝぎ、亡君亡親へ黄泉のうつたい(訴え)にせん」と、かれらが来る首筋に、十人心ざしを一つにして、草にふしてぞ待にける。風摩例の夜討して、散々に成てにぐる時、十人の者共其中へまぎれ入、行末は二百人みな一所に集たり。然ば夜討強盗して帰る時、立すぐり・居すぐりといふ事あり。明松をともし、約束の声を出し、諸人同時にざつと立、颯(さっ)と居る。是は敵まぎれ入たるをえり出さんための諜なり。 然に件(くだん)の立すぐり・居すぐりをしける所に、なま才覚なるものいひけるは「いかにや人々、兵野にふせば、とぶ雁つら(列)をみだす、といへる、兵書の言葉を知給はずや。爰の山陰(やまかげ)かしこの野辺に、雁の飛みだるゝをば見給はぬか。 風摩が忍び、乱波が草にふしたるよ」とよびめぐれば 「すはや心得たり。 遁(のが)すな討とれ」とて、惣陣騒ぎ動乱しける。馳向て是を見るに、人一人もなし。 く(暮)るれば馬にくらをきひかへ(置控え)、弓に矢をはげ、鉄砲に火縄をはさみ、干戈を枕とし、甲冑をしとねとし、秋三月長夜をあかしかね「うらめしの風摩が忍びや。 あらつらの、らつぱが夜討や」いひし事、天正十八寅の年まで有つるが、今は国おさまり目出度御代なれば、風摩がうはさ、乱波が名さへ、関東にうせはてたり。 http://www.geocities.jp/naoya_820/index-history-local.htm PR
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