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【2024/11/18 08:29 】 |
外国人が見た100年前の朝鮮の姿、原文発見
よくコピペされてるこれ↓
朝鮮宮廷の真髄は、王が時折、威風堂々とソウルの街を通って視察や御陵に渡御する行事で見られた。朝早くから兵士たちが街を警備したが、このような軍隊は世界のどこにも見られない奇妙な姿をしていた。道に列を作っている歩兵は大半が地面に横たわって寝ており、人の数より多くの旗を持っていた。彼らの旧式銃は、鉄製の杵・引き金・金属板がないものが大半であり、あったとしても縄でそれらを縛っているだけだった。銃剣は曲がっており、錆が生じていた。 歩兵よりもさらに驚くべきは、騎兵隊であった。彼らは300年前のような古い制服を着ていたが、壊れた兜と槍、厚い皮のベストの上に青銅の飾りをした黒い革の鎧、そして虫に食われたような服などを着ていた。

原文は1894年に出版された Problems of the Far East: Japan - Korea - China という本で、作者はジョージ・ナサニエル・カーソン、
なので正確には120年前。
アマゾンで原著買えるけど著作権切れなのでネットで全文読めます。
ココ

該当部分を書き出します。
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【2016/06/27 13:34 】 | 朝鮮史関連 | 有り難いご意見(0)
ヘンドリック・ハメル著『朝鮮幽囚記』の概要

日本を目指していたオランダ船が嵐で難破し済州島に漂着した。
オランダ人たちは海岸に雨露をしのぐテントを建てて生活していたら、やがて現地人たちが気付いた。
彼らは最小限の食べ物などを恵んでくれたりはしたが、優先したのは難破船の破片を燃やして釘などの鉄を回収することだった。
また、積荷の鹿皮が大いに喜ばれた。中国に朝貢する毛皮の不足に悩んでいたからである。
日本に送ってくれるか、和館に連れて行ってくれというオランダ人たちの要求は拒否された。
やがて彼らは朝鮮の軍に組み入れられ、弓や鉄砲の稽古をさせられた。

彼らの待遇は、上司によって大きく変わった。
彼らに同情的かつ好意的な上司のときは厚遇された。 だが朝鮮の役人は3年ぐらいで転勤してしまう。
彼らに非同情的か無関心な上司のときは、食べるものも少なく物乞いをしなければならなかった。さらに思いつきのような様々な作業に従事させられた。

このままでは奴隷にさせられてしまうと危惧したオランダ人たちの一部は、小さなボロ舟を調達してイチかバチかの脱走を敢行。数日後、舟は運よく五島列島に到着。
そこで刀を二本差した人々に捕えられた。
彼らに厳重に監視され、また根掘り葉掘り尋問されたりはしたが、扱いは穏当なものだった。
オランダ人たちは持っていたわずかな米をお礼に差しだしたが、日本人たちは受け取らなかった。
やがて長崎の出島に引き渡され、13年ぶりに故国に還ることができた。
【2013/08/07 10:44 】 | 朝鮮史関連 | 有り難いご意見(2)
神功皇后の三韓征伐
【2010/07/19 12:10 】 | 朝鮮史関連 | 有り難いご意見(0)
世界史の視点で朝鮮出兵を見る
'10.02.27 黒田裕樹の歴史講座 「朝鮮出兵」 3/16
1からありますが、3から見始めるといいと思います。
【2010/07/17 15:38 】 | 朝鮮史関連 | 有り難いご意見(0)
日本の城 朝鮮の城




【2010/07/11 12:04 】 | 朝鮮史関連 | 有り難いご意見(0)
嘗謂朝鮮之俗
鄭東愈(1744―1808)著「晝永編」(嘗謂朝鮮之俗)

(初版-2010-1-25:21:55)

(改訂第1版-2010-1-26:14:47改訂)

(改訂第2版-2010-1-29:00:05改訂)

(改訂第2版追録1-2010-1-29:01:17追録)

(改訂第3版-2010-2-6:14:55改訂)



【原文】

嘗謂朝鮮之俗有至拙者三至難者二

拙者天下萬國之所無也

難者亦天下萬國之所不能有也



我國無針

必貿燕市

若燕貿不通雖有布帛無縫衣之道

拙一也

六畜首称牛羊而我國則養牛不知養羊

拙二也

黄帝以来陸行用車水行用舟者何地不然而我國有舟無車

拙三也

豈非萬國之所無乎

士夫婦女之無再醮之俗于今四百餘年擧國同然

難一也

士夫之族系明白其内外十世祖為五百一十二而遡考皆知

難二也

豈非萬國之所不能有者乎



【現代語訳】

朝鮮の風習には拙きに至るものが三つ難儀に至るものが二つ有ると

これまでに言われたものだ。その拙いものは、朝鮮以外の他の国では

どこにも無いものだ。その難儀なものもまた、朝鮮以外の他の国では

どこにも有りえないものだ。



私の国には針が無い。必ず燕と交易して針を買う。もし燕との交易が

不通になれば、綿や絹の生地があっても衣を縫う手段が無い。

これが拙いものその一である。

六畜は主要なものに牛と羊とを挙げるが、私の国は牛を飼うけれども

羊を飼うのを知らない。これが拙いものその二である。

黄帝(BC2510~2448中国の帝)の昔以来、陸行は車を用い

水行は舟を用いることはどこの地域でもそうである、しかし、

私の国には舟は有るけれども車が無い。これが拙いものその三である。

そのような三つの拙いものは、朝鮮以外の他の国にはどこにもない。

士大夫・婦女が再婚しないという風習は、今に至ること四百年余り、

全国で同じくそのままである。これが難儀なものその一である。

士大夫の親族関係は、父母親族十世代の先祖が512人を構成することを

まず明らかにして、その構成員を遡って調べ、その構成員とその親族関係

すべてを知る。これが難儀なものその二である。

そのような二つの難儀なものは、朝鮮以外の他の国にはどこにも

有りえない。
【2010/07/03 03:40 】 | 朝鮮史関連 | 有り難いご意見(0)
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【2009/10/16 12:01 】 | 朝鮮史関連 | 有り難いご意見(0)
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